永遠の雨、雲間の光 - 第一巻 解説 

 2017年1月16日~17日 アマゾンで購入された方へ、第一巻の解説を更新しました。修正した解説を引用しておきます。

※書き忘れていました:このページは読者様向け解説です。小説のストーリーそのものが書いてありますので、本文を未読の方は読まないようご注意ください。

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--------------以下が更新した解説----------------


解説

 『永遠の雨、雲間の光』シリーズは前作『我傍に立つ』と同じく、退行催眠で自動的に浮かんできたイメージをもとに執筆したファンタジーです。
 「前世の記憶」を辿るという目的で見たイメージですが、もちろん全て現実にあったことなのかどうかは分かりません。
 付け加えておくと、『永遠の雨、雲間の光』シリーズは『我傍に立つ』よりも古い時代のイメージです。そのせいか『我傍に立つ』のイメージよりも遥かに曖昧で実感を伴わず、感情の激しい波も起こらず、記憶の空白は数多くありました。このため前作よりも多くの意識的創作で補う必要がありました。

 ここに序『青い河』・第一話『ただ一つの美しい星』について、実際に見たイメージと創作部分を記しておきます。

■序 『青い河』
 人物名「アン」を抜かせば実際に見たイメージの通り描きました。
 これは『我傍に立つ』で書いた人生の少年期で、十二歳頃だと思われます。一緒に歩いている幼い男の子は「身近な肉親」という感覚があり、弟だと思います。保護者である成人男性は「肉親だが実の父親ではない」ので、親戚(伯父)でしょう。
 何故、三人だけで着の身着のままで歩いているのかは不明です。旅の途中の景色などの記憶は不自然に空白となっています。
 大河の水面に星が映る光景は現実ではなく夢を見たか、あるいは月の光と間違えたのだと思いますが、星を眺めているうち切なくなり涙を流したのは実感のあるイメージです。

 この少年期のイメージは『我傍に立つ』の記憶をもっと探ろうとして、別の日に退行催眠をかけたところ見えたものです。
 以降、同じ人生のイメージには二度と戻ることができず、一回の催眠ごとに一つ前の人生を遡って思い出すパターンとなりました。
 『永遠の雨、雲間の光』はこのイメージが見えた順番通りに書いております。
 (例外は第四話と第五話。創作の都合にて順序を入れ替えました)

■第一話 『ただ一つの美しい星』
【実際に見たイメージ】
 二千年以上前、『我傍に立つ』の国から見て遥か西方の小都市国家に生まれた人生です。
 高度に文化的な国で、周辺の国々から尊敬されていましたが、このイメージの当時は度重なる戦争によって衰退していました。
私はこの小都市国家が重要な戦争に敗北し、ついに他国の属国となった時代に生きたようです。
 以上のことから小説では、紀元前三四〇年頃のアテナイを設定しています。

 イメージは七歳頃から始まっており、両親の記憶はありません。両親は戦時または戦後に死亡したのだとぼんやり覚えています。
 孤児として森で暮らし飢えて死にかけたところを「先生」に拾われ、学問を受けながら育てられ、先生の死後に彼の家へ赴く場面までは完全にイメージのまま描写しました。
 特に先生の教育方針や、先生との会話はイメージを忠実に描写するよう気を遣いました。

 「先生」の名は不明です。貴族で有名人だったというイメージがあるので、これが現実の記憶だとすれば裏付け可能だと思いましたが、私が調査しても先生を見つけることはできませんでした。
 星の学問→数学→幾何学→哲学の順序は古代ギリシャにおいて重要だったようで、これはプラトンが提唱した学習カリキュラムと一致しています。(ただし体育は飛ばされています。老先生が死期を自覚し「時間がない」と思っており、間に合わせるため体育を省いて哲学を教えたのだとすれば理に適います)
 このことから「先生」がプラトン学派の哲学者だったことは間違いないと思います。貴族という出身家系から考えるとプラトンにも比較的近い人だったのではないか、と推測しています。大学校を設立したこと、政治に口出しできるほど著名だったこともプラトンに同じ。
 ただし彼はプラトン本人ではないと思います。何故ならプラトンは、アテナイが属国となる数年前に亡くなっているからです。(私のイメージ上、先生は国が事実上滅んだことを嘆いていました)

 先生の家族に引き取られてから十八歳で傭兵となるまで、記憶は不自然に空白となっています。何らか嫌な思い出があるようです。
 なお、「先生」の家族について私は嫌な印象しか持っていませんが、このとき引き取られた家系との縁が今世に至るまでの「貴族的な家系」との結びつきになったと思われます。
 今世でも私は前世と似たような家系(地方の名家)に生まれているものの、親族とはあまり深い関係を持っておらず、家系から受けた恩恵はほとんどありません。そのことは前世と同じ。
 だから前世でも今世でも、私は自分が生まれた「貴族的な家系」について良い印象を持っていなかったのですが、この家系との縁もかつて先生が繋いでくれたのだと思えば大変ありがたいと思いました。
 全ては “有り難し”。有ることが難しいので、大切にしなければならないと思います。
 現実かどうかは分かりませんが、このイメージを見てから私の親族への想いは劇的に変化しました。ずっと抱いていた冷たい気持ちが溶け、今では従兄弟などに親しい気持ちを持っています。
※常に同じ魂同士で同じ家系に生まれるとは限らないと思います。ただある集団の輪(多数の魂で構成される縁のグループ)にはきっかけがない限り入ることができないようです。だから、スピリチュアルマニアで「私は前世で貴族だったの」と語る人たちが現在庶民であることは不自然だなと私は感じます。きっかけもなく境遇が激変することは不自然です。変化の原因も記憶しているなら別ですが。

【意識的な創作】
 「先生」の家族との会話。
 宴の場面。主人公が受けた虐待(古代ギリシャで現実にあった慣習から推測)。
 登場人物名。

【注記】
 多くの読者様には余計なことだとは思いますが蛇足しておきます。
 『永遠の雨、雲間の光』シリーズは『我傍に立つ』より過去に遡る物語です。
 つまり、時間設定は『我傍に立つ』が後、『永遠の雨』シリーズが先です。
 そもそも言語を含む知識の記憶は転生した後に持ち越すことはできませんが、たとえある程度のスキルを持ち越すことが可能だったとしても地上の時間に拘束されるため、後のスキルを先に持つことは不可能です。(スピリチュアル分野では「魂に時間はない」と言われています。しかし転生で地上に降りれば時間拘束のルールがはたらくと筆者は考えます。事実どうであれ、小説『永遠の雨、雲間の光』シリーズではこの時間拘束ルールを厳守した設定としています)
 この小説内の時間設定を読み取っていただけず、宴の場面における下記の文章
「先生は仰っていなかったか? 先生の図形学を伝授された者は、無敵の陣形を組める才能を持つんだ。つまり、君が軍隊の指揮者になれば、向かうところ敵なしということだよ」
 について、作家のО氏が
「戦争には陣形だけで勝利することはできない。『我傍』の主人公は軍事専門家だったはずなのに、アテンの軍事知識が素人同然なのはおかしい!」
 というクレームを申し出て来られました。(さらにその後、残念なことにО氏はアマゾンレビューに汚い言葉で著者の人格攻撃を書き込むという犯罪行為に及んだ)
 上の時間設定の説明でお分かりの通り、アテンが少年だった当時はまだ一兵卒としてすら戦争を経験していない完全素人です。経験もないのにいきなり専門的な軍事知識があったらむしろ不自然で、そのほうが通常の読解力を持つ読者様からのクレームの嵐を受けることになりそうです。
 ちなみに「先生の図形学を伝授された者は、無敵の陣形を組める才能を持つ~」の台詞はプラトンの著作を参考としています。
 プラトンはその著作でこの通りのことを述べています。「図形学」とは「幾何学」のことです。
 現代の私が思うに、現実では陣形だけで戦争に勝利することはできません。「戦争」とは一戦闘のみを指す言葉ではないため、真に「向かうところ敵なし」の戦争指揮者となるためには外交を含む総合的な戦略構想力のほうが求められます。
 「陣形を組む能力に長けているだけで無敵の戦略家になれる」、と思うのは、戦争を経験したことがない人たちだけが信じることができる妄想と言えます。
 ただし古代において、一戦闘における勝利に限れば陣形が重要な技術だったことは否定できません。いつの時代も総合的な戦略を支えるのは細部の技術です。そのために「幾何学的な能力があれば戦闘において無敵となれる」、と述べたプラトンの考えは、当時としては決して間違いではなかったと言えます。
 『ただ一つの美しい星』の主人公アテンは、幾何学を学んだ後に転生した人生『我傍に立つ』で戦略家の仕事に就きます。『我傍に立つ』の主人公が「無敵」の戦略家だったとはとても言えませんが、その仕事で有名となったことはアテン時代から見れば筋の通る運命だったとも思えます。もしかしたら記憶の奥底に先生の学問が残っていたから、陣形だけは得意だったのかもしれません。二度の人生にわたり「戦争に関わるな」という先生との約束を裏切ってしまったのは、悲しいことですが。

*

 最後に読者の皆様へお願いです。
 『我傍に立つ』もそうであったように、『永遠の雨、雲間の光』は現実の歴史を表現する目的で書いた小説ではありません。
 自分の見たイメージを表現することを最優先として書いた小説ですから、現代の私には荒唐無稽であると思える話でも忠実にその通り描いています。これは物語を在りのままお伝えするためです。浅はかな現代の私の考えで「荒唐無稽だから」「陳腐だから」と言ってイメージをカットすれば、そのぶん大切な「物語の本質」が失われる恐れがあります。
 『永遠の雨、雲間の光』はこれからさらに荒唐無稽なストーリーとなっていきます。小説のジャンルとしては「ファンタジー」「SF」に属します。ファンタジー設定が苦手な方には不向きな作品と言えます。
 創作として理に適ったご指摘であれば嬉しいのですが、ファンタジー設定について「現実らしくない」という対処しかねるクレームはお控えいただきますようお願い申し上げます。
 物語を物語としてお楽しみいただければ、心より幸いに思います。

 二〇一七年一月十八日 吉野 圭


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